2009年4月23日木曜日

津軽ひろ子

津軽ひろ子は青森県黒石市に生まれる。ひろ子には2つ違いの妹がいました。5才の時三味線を引き歩いて門付け家業。 12才で両親を失い、ひろ子とたみ子は流れ歩いて大阪はかしまし娘の内弟子となり、厳しい修業が続く。ちゃっかり娘としてコンビを組み、妹たみ子と今お笑い界で活躍している敏江、冷児の敏江とひろ子の3人は大きな劇場に出るようになり話題の人となる。
 そして4年後、敏江の結婚で解散。津軽姉妹として名前を変え、森繁久弥先生の推薦もあって歌謡界にデビュー、星野哲郎先生の作品で40数枚のレコードを だしたが売れなかった。昭和52年10月、妹たみ子は不治の病につく、病名心筋梗塞 腎臓 高血圧280、人工透析開始、7年間闘病生活ののち昭和58年 7月16日意識を失い植物人間となる。40日間の看病のかいもなく8月25日、33才の若さでこの世を去った。
長い闘病生活、数えることのできない程の全国の皆様から寄せられた励ましの言葉、そして愛の献血。たとえ1分1秒でも長く生きてほしい・・・・・・。 幼 いころから苦労しながら同じ夢を追い続けた姉妹、その妹たみ子は全国の皆様方から寄せられた、尊い愛の奇跡にむくいることができなかった。一輪の花は若く して散ってしまったのです。
  津軽ひろ子には誰も身寄りがいない。幼い頃の両親との別れ、そして妹民子との別れ、 妹たみ子の短い人生を支え、力付け、励ましてくれた全国の今日までお世話になった大勢の皆様方に、姉ひろ子は亡き妹たみ子に代わって歌によって全国の皆様 に恩返しが出来るものならば・・・・・・。妹たみ子の遺志を継ぎご奉仕したい、微力ではありますが、社会福祉に役立つものならば・・・・・・、それは姉津 軽ひろ子に託された「人の命の尊さの心」であった。声の続く限り、力の続く限り、歌がこの世にある限り、お客様のいる限り、津軽のじょっぱりで明日に向 かって唄い続けています。
このような理由から、全国各地で社会福祉事業の一環としての津軽ひろ子ショーが公演されるようになりました。

2 件のコメント:

nobucyan さんのコメント...

あるきっかけで、カセットテープを聞く事ができて、感銘しました。
世の中には、似たような境遇の人が‥
私も、60歳ですが、4歳で両親を亡くして、2人兄弟で頑張ってきました。
今は、孫も4人いて幸せに思います。
強く生きて下さい。
心より応援してます。

nobucyan さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。